あひ鴨一品 鳥安の歴史

明治5年(1872年)創業
今も昔と変わらぬ味

「あひ鴨一品」に込めた想い

明治5年(1872年)の創業以来、「あひ鴨一品」を貫き、一流の料理屋としての風格を守り続けています。暖簾に偽りなく、相鴨の「すき焼き」のみを提供しています。皮つきの厚切り肉を独特の油落としのついた鉄鍋で焼き、おろしじょうゆにつけて食べる。これが当店の「すき焼き」です。

実際、戦前までは「烏安」でもお客様の好みに応じて「煮鍋」も提供していましたが、その違いをあえて宣伝することはありませんでした。創業者が考案した鍋や火鉢の形を守り続けていることこそ、老舗料理店としての誇りです。

歴史ある東日本橋の地に根付く

現在の東日本橋界隈は問屋街へと変貌しましたが、かつては柳橋花柳界の一郭にあり、江戸時代から栄えた両国広小路の横手という理想的な立地でした。戦後の普請によって建てられた現在の店舗には、数寄屋風の玄関が昔の情緒を今に伝えています。

侍から料理人へ~初代の挑戦~

 創業者「渡辺 大助」は、江戸時代には出羽秋田藩の定府の侍でした。しかし、廃藩置県により武士の身分を失い、江戸城から上野寛永寺へ続く御成道(現在の昭和通り)で「秋田屋」という屋号の古道具屋を開業。しかし、商売に不慣れだったため、すぐに廃業。

その後、急転直下で「鳥安」を掲げ、相鴨のすき焼きを始めました。侍から料理屋への転身は異例でしたが、五代目「尾上 菊五郎」の示唆があったと伝えられています。両国広小路にほど近いこの場所に店を構えたのも、江戸の賑わいを背景に商売を発展させるためだったのでしょう。

戦後の復興~四代目の決意~

戦後、店は戦災で焼失しましたが、四代目「渡辺 誠之助」が復興に尽力しました。隅田川に船を浮かべてでも営業を再開しようと奔走するも、混乱の中では難しく、昭和24年5月にようやく店舗を復活。材木を埼玉県飯能まで買いに行き、大八車で運んで建築を進めました。

しかし、実際に店を運営し始めると、相鴨という食材の本質を理解していない自分に気付き、上野動物園や鳥類研究家に相談しながら学び直しました。

相鴨の仕入れ 代々の信頼関係

当店の相鴨は、長年にわたり本所の問屋から仕入れています。問屋も当店に納めることを誇りに思い、当店もそこから仕入れることを誇りにする、そんな信頼関係が築かれています。

戦前は福島や仙台産が主流でしたが、戦後は千葉県船橋からも仕入れました。昭和17年、18年頃には、船橋の裏手にいた老人から直接購入した相鴨が今でも最高だったと四代目は振り返ります。現在は関西産が主流となっていますが、品質の均一化が進み、安定した供給が可能になりました。

「鳥安」の精神
素材に対する誠実さ

かつては、生きた相鴨を仕入れ、店内で締めて調理していました。毛引きは専門の職人が二人がかりで行い、一本ずつ手作業で仕上げていました。使わない部分まで手引きをする。そういう丁寧さ、それがうちの精神。
素材は相鴨のみ。だからこそ、一切の妥協なく、最高の一皿を提供し続けています。